伊藤計劃・円城塔『屍者の帝国』(河出文庫)
ぼく、という意識。
あなた、という意識。
それはいったい何であろうか。
それは現実なのか、それとも夢なのか。
いや、そもそもとして現実とはいったい何なのか。
ぼくは世界から遮断された狭いベッドの上で、一人たたずむ。
と、夜、就寝前の読書をしていたら、頭の中がヒートして混乱の極地に至りました。
本書は伊藤計劃さんと円城塔さんの合作でありますが、その99%は円城さんの手によるものであり、これはもはや「円城塔」の著作と言ってよいかと思います。
主人公は、あの「ジョン・H・ワトソン」。
世界一有名な(ぼくが勝手にそう思っている)私立探偵シャーロック・ホームズの助手に当たります。
『屍者の帝国』は、ワトソン博士がロンドン大学を卒業してシャーロックに出会うまでを、大胆かつ緻密に練り上げて作られた物語です。
「歴史改変もの」と呼ばれる本書ですが、実際の19世紀の世界情勢(日本も出てきます)に小説「シャーロック・ホームズ」のあの人たちが登場し(シャーロックは残念ながら出てきません)、さらには、『死者の帝国』骨子、「死んだ者の生き返り」の技術にはメアリー・シェリー著『フランケンシュタイン』が取り入れられていて、ちょっとおなか一杯感は拭えません。
ルナ教会が出てきいの、アララトが出てきいの、そういう宗教ネタだったり秘密結社ネタが好きな人には楽しめるのではなかろうかと思います(知識がなくてもとりあえずはどうにかなります。気になったらググって)。
あと、大村益次郎が出てくるのには驚くともいます。暗殺されたはずの人がなぜか西南戦争まで生きているという。大久保さんは暗殺されたままでしたが。
ぼくが一番気になったのは、本書のテーマと言える「意識」。
一般には、人間のみが意識を持っていると言われています(個人的にどうのこうのはさておき)。
『屍者の帝国』においても基本的には同じスタンスが採られます。「意識」があるからこそ人間のみが「屍者化」できるのであり、逆にそれ以外の生物は人間のような「意識」が存在しないからこそ「屍者」として復活できないのだと。
しかし、ここで「ザ・ワン」なるフランケンシュタインの怪物は、一つの説を打ち立てます。人間の意識は、「菌株」なるものの合議制の結果であると。
人間にも固有の意識のようなものはたしかにある。しかし、それは「菌株」たちの様々な駆け引き(菌株にも政党みたいに派閥があって、それぞれに主張がかみ合っていないことから引き起こされる意見の押し合い)の下に覆い隠されてしまい、結局、「人間の意識」なるものは存在しない、それは「菌株」によってあたかもあるように錯覚させられているだけ。
ぼくにはこれが強烈に響きました。
伊藤さんの二作『虐殺器官』と『ハーモニー』にもつながる要であり、そこでは「意識」とは人間の進化の産物である、と言っている。
つまり、『ハーモニー』では「意識」を他の人間の機能と特別扱いする必要はないのだとしており、今回はそれを発展させて「意識」は人間の進化の途中で脳に住み着いた、人間以外のモノによる現象に過ぎないとしているのです。
だからなんだ。それが飯の役に立つのか。なんて言われたら否定するしかありません。
母に「哲学は面白い」って言ったときに「法学部なんだからもっと役に立つ法律を勉強しなさい」と言われたときぐらいショックだったりします(笑)。
いや、ほんとに役に立ちませんね。特定の研究者だったりを除いては。
だって、『虐殺器官』を読み直してから一度たりとも「意識とはね、こうこうこういうものでね」なんて話す機会なんてありませんし、ふつうに日々の生活を送る上ではただの悩みの種になるだけの、邪魔でしかなかったりしますし(笑)。
趣味の問題と言ったらそれまでですが、古代のアリストテレス然りプラトン然り、「知識」という快楽を欲しがる欲求の1つだと思ってくれたらいいかなと思います。
とりあえず、言わせてください。
「あなたは面白いとは思いませんか」。
ところで話ががらりと変わりますがネットを巡回すると、いろいろな感想を目にすることがあります。
その中には、「理解が追い付かない」という感想も書かれていることもざらでは有りません。
ぼくも正直言うと、わからないことだらけです(再読なのに)。
秘密結社などの知識不足もそうだけれど、そもそもとして文章の表現が追いきれていない。
でも、それこそ知識を収集し、一度置いて熟成させてからもう一度読もうと思っています。今年の12月の映画化までにはもう一度。
最後にあと一言だけ。
『屍者の帝国』はワトソン博士の従僕である、青年の『屍者』、フライデーの手記によるものです。フライデーがワトソン一行の旅に同行し、傍で書き留めていったもの集合体。
そして、アーサー・コナン・ドイル自身による「シャーロック・ホームズ」シリーズは、助手の「ワトソン博士」がその記録人となっています(他の著者の物は知らないが)。
この点も意識して書かれたのだろうなー、なんてニヤニヤしながら読んでください(笑)。
「叶うのならば、この言葉が物質化して、あなたの残した物語に新たな生命をもたらしますように。
(読んでくれて)ありがとう。」
P515「エピローグ」より
(カッコ内は筆者)