法条遥『忘却のレーテ』(新潮文庫nex)

 わたしの今までの物語を、忘れてしまう物語。
 昨日「おやすみ」と言った人にも、
 今日、目覚めれば「はじめまして」。




大学生の唯は両親を亡くした。それも、つい最近のこと。
父が役員を務め、母が寿退社した「オリンポス」という 製薬会社での式典に二人が参加したその帰りだった。
それも唯の目の前で、ゴムまりのようにトラックにはねられて。

茫然自失の中、葬式の後に父の知人だという男が来て唯に言った。
「きみのお父さんは会社のお金を横領していたんだ」
それは両親が唯に残した額よりもあまりにも多かった。
唯がそう言うと、男は電話を掛け、それから満面の笑みで唯に言った。
「役員会の決定で返済額が半分でいいことになったよ」
喜ぶ唯に、しかし、とさらにこう付け加えた。
「条件があるんだ。われわれの実験に参加してほしい」

そしていまわたしは、このすべてが真っ白な狭い部屋にいる。
人の記憶を忘却させる「レーテ」という薬の被験者として、他の5人と同じように。

わたしは1週間ここで過ごすのだ。
夜の12時には強制的に眠り薬を投与され、同時に「レーテ」も体の中を巡る。

その日の記憶を忘却するため。
次の日を新しく迎えるため。

でも、なぜか違和感が拭えない。なにか忘れている。いや、忘れることが実験の内容だから当然といえば当然だ。

そう、当然なのだけれど、やっぱりどこかおかしい。
直感、って言ったらそるまでだけど、それしかないとしか言えない。

動物としての本能なのか、人間としての理性に基づくそれなのかはわからないけれど。

その違和感が何に対する違和感なのかは、わたしには判断がつくことはない。




 とまあ、こんな感じの小説です。小説の作り自体は実験一日目、二日目といったふうに進んでいきます。まあ、それはよいでしょう。

 例によって今回も衝動買い。大学の授業後に行われる公務員講座の苦痛に耐えきれず、発狂する前にと本屋さんへ直行して買ったのでした。

 本書の帯には「二度読みせずにはいられない記憶喪失ミステリ」なんて大きなことを書いていますが、そんな大げさなものではないです。
 トリックのネタはすぐに気づきます。「ああ、もしかしたら...」となんとなく想像がついちゃうと思います。それもかなり序盤で。ぼくとしては宮部さんの「RPG」再来、なんてガックシしていたわけです。
 

でも、ですね、中二病をこじらせてしまったぼくとしては、「忘却のレーテ」なんてカッコイイ名前を見せられたらワクワクしてしまうわけで、そのワクワク感だけでいうならとてもよかったです。ああ、内容は本当にイマイチだとは思いますが。



 あとちょっとばかり追記ですが、これはなんというか、上に書いた通り、主人公は大学生の「唯」です。でも、本書は「唯」の物語ではありません。


 どういうことかというと、「唯」はただ「レーテ」という薬の効果を僕たち読者に見せつけるために選ばれたとりあえずの主人公に過ぎず、本書は「レーテ」もといそれの開発者「小野寺エリス」のための物語なのです。


ですから、まあ、上ですぐにばれるようなトリックを使ってますよと書きましたが、「レーテ」の効果をぼくたち読者に伝えるためにはそのようなトリックを使わざるをえず、そのためにとても分かりやすいネタにしたのではないかとも思うのでした。


 うーん、まあ、これは伊藤計劃さんが「セブン」や「ゲーム」の映画評について書いたときのことを思い出して、もしかしてこれもそうなんじゃね、ってぼくが半分(いや、8割がた)盲信的に考えたことですので、もし読まれた方で「それは違う」という方がいらっしゃれば指摘していただければ幸いです